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2023.04.09潜在意識

「いいひと」ほど人を攻撃する

目次

みょうに批判的で正論をふりかざす人たち

日本潜在意識コミュニケーション育成協会の森口です。

あなたのまわりに今、

やけに批判的でみょうに正論をふりかざすような、
そんな人がいないでしょうか。


先日耳にした話を今日は、
シェアしたいと思います。

批判しているのではなく正しさを説いている


なぜだかいつも批判的なことばかり口にする。

SNSではみょうに正義感ぶったというか、
正論ばかりを語っているようなそんな人。

こういうことを言ってる人はどうかと思う とか、
こんなことしている人の気が知れない とか、

指摘するポイントも、その人の見解も、
正直どうでもよいようなことばかり。

批判することでどこか、

遠回しに自分が正しいということを、
匂わせてるようなそんな口ぶりの人。

ふんふん聞くには聞いてるけど、
正直とっても不快に感じるような人。

そんな人を前にして、

聞いてる側がだんだんしんどくなってくる…、

なんなのこいつ…もう勘弁して!と、
嘆きたくなってくる。


どうでしょう。あなたの身近にいま、
やけに攻撃的な、批判的な人はいないでしょうか。

相手の間違いを正してあげたくなる心理


こういう時なにか少しでも、
相手の怒りに、自尊心にふれてしまったら、

反論した(自分の意見を言った)あなたまでもがなぜか、
攻撃対象のようになってしまいます。

聞き役に回るか、
おくちチャックの状態で「無」となるか。

おおよその場合それくらいしか、
難を逃れるすべはないでしょう。

批判的にものごとを見ている時ってもう、

自分が正しく相手が悪い、間違っている、
そういうとらえかたしかできない状態ですからね。

私の話や意見は聞いてほしいけど、

あなたの話や見解なんて、
私なんにも聞きたくないの という、

なんとも理不尽極まりない、
そんな状態でもあるわけですから。


正面突破、それはとても危険です。


…今この話を聞きながら、
あなたの脳裏に浮かんだ人っているでしょうか。

それはもう絶対に旦那!! 
そういう人もいるかもしれないし、

やーもうそれは親でしかない…。
そう思った方もいらっしゃるかもしれません。

たしかにいろんな関係性の人が、
いるとは思うんですが、

この仕事をしていて思うこと、それは、

そういう人にはみな、
「ある特徴」「共通項」があるということ。


どんな特徴、共通項かと言えば、


総じてそういう方々は、
「外面」がいいということでしょうか。


社会におけるその人の印象は、

いいひと、だったり、
すごく気のつく人といった好印象なもの。


総じて人当たりの良い人だったりするんです。

「いいひと」だからこそ起こるトラブル


批判的なことばかり正論ばかりを言っている、

そこだけを切り取ると、

めんどくさいような感じがしたり、
イヤな奴という印象の方が強いかもしれませんけど、

だいたいそういう方ほどみょうに外面が良い。
いいひと そんなイメージが強い。

外ではにこにこしていたり、
ものわかりのいい人だったりする分、

気を許している家庭内では、

「敵」だとみなしていない人の前では、
毒づく、毒を噴射するというのかな。

おそらく外で言えずにのみこんだものが、
たまりにたまって内側で「発酵」し、

本人はまったくそんなつもりはないままに、

吐き出しているその言葉の中に、
みょうなガスが混じり込んでしまって。

結果として、
強烈なダメージを相手にあたえてしまう。

無意識に。
まったく自覚のないままに。

自覚がないからよけいに、

相手が自分の話に意見してきたり、
反論なんてしてきた日にゃあもう、

いい人どころか般若となって、
烈火のごとく怒り出したり、

なぜだかこちらが悪者にされて、
みょうに被害者ぶられて責められる。

そういうことが起こりやすくなります。

そう、当の本人ほど気づかないんです。

まさか「いいひと」の私が、
ガスをまき散らしているわけがないと。

私はいつだって「いいひと」で、
ものわかりの良いよくできた人なんだからと。


そう信じて疑わないからこそおこりうるトラブル。
実はけっこうよくあるんです。

幸福感を感じられないからこそ


いいひとであることに慣れてしまう。
常識人、間違いのない私でいることに慣れてしまう。

なまじっか、
私はいつだって空気を読んで我慢している。

私だけが我慢している。
その印象、そんな認識が強いだけに、

内側には燃えたぎる、
「私はいつだって耐えてるし辛抱してる」というおもい、

そんなものがあるのかもしれませんね。


そのおもいがいつしか強くなりすぎること、

そしてもうひとつには、

その人自身がいま幸せを感じられないこと。

欲求が満たされない、
欲求不満の状態であること、

それがその人の言動に、
大きく関連しているのではないかとも思うんです。

その人からしてみたら、

私はいつだって我慢して、
(みんなに)あわせてあげてるのに、

わかってないのよね、みんなってと。

私がやること、思っていること、
それこそが正しいのに、

あの人こんなことにも気づいてないんだから。

そんな感じでしょうか。

そんな内なる声が、
知らぬ間にダダ洩れになって、

強烈なガスを噴射、
無意識に毒づいて周りの空気を凍らせる、

そういうことかもしれませんね。


…ということは です。


そういう人に対して、
どういう応対をすればいいか。

なんとなくわかってきますよね。

かたくなになっていく心、狭まる視界


そんな人に対して真正面から反論する、
それはとんでもない現実をまねきますし、

あなたの意見、正論など、
相手はなにも聞いちゃいないということですから。

その人が自分で「あ!」と気づかない限り、

誰の意見にも耳を貸さないくらい、
かたくなな状態でもあるので、

話せばわかるという発想、期待、
あまりおすすめはできません。

まずなによりも、
否定的表現はカットする、

そうでないと、
嵐は起こりやすくなるかもしれません。

相手の問題は相手が解決していくもの


そしてもうひとつ大事なこと。

それは、

そういう人を相手にしなければならない、
そういう状況にある人へのアドバイスとして、


仮に相手があなたにかみついてきたとしても、

それはあなたが悪いということではなく、
そもそも「相手の」問題だということ。

相手は自覚がないこととはいえ、

欲求不満に陥る状況を、
みずからつくり上げている、

それがそもそもの原因なわけですから、
こちらは関係ないんです。

とはいえ、

噛みつかれたり、
イヤなことを言われたりすると、

やはり気分はよくないです。

右から左でうけ流す、

私は関係ございません、
それはあなたの問題ですとスルーする、

※わざわざそう相手にそう言う必要はない


時にはイヤだという意志表示もありでしょう。
イヤなんですから。うざいですもんね。


そうして自分の心を護ってほしいと思うんです。

まとめ

あなたが傷つく必要はありません。

仮にあなたが傷ついたとしたら、

巡り巡ってその人も誰かから、
同じようなことをされて、

あなたに与えたダメージを、
我が身で受けることになります。

それみたことかと、
それくらいでも良いのではないかしらと。

そしてもし、
こんな出来事に見舞われるようなことがあったら。

その時はあなたも我が身を振り返って、
軌道修正してみてください。


もしかしたら私もこの人みたいに、
欲求不満であるがゆえに誰かをこきおろして、

まるで自分がなにかを「成し遂げた」かのような、
そんな気分をあじわってないかしら?と。


誰かを批判することで、
まるで自分が万能になったかのような気分になる、

そうして、
自分の中に巣くう不満や不安を一掃する。


そういうことを人は知らずにやってしまう、
そんなこともありますからね。

他人と自分に境界線を設けて、
人のふり見て我がふりなおす。

欲求不満にならぬよう、
過度にいいひとにならない。

己を大事に扱ってあげる。

そこら辺を意識して過ごしてみると、
批判的な話や、理不尽な扱い、

そういうものが、
あなたの周りから減っていくかもしれません。


自分が我慢さえすれば は決して、
「自分」だけではおさまらないということ。

巡り巡っておかしなことに結びつく、
そういうこともあるよということ ですね。


他人の課題、問題でこちらが傷つく必要も、
こちらがダメージを負う必要もなし。

あくまでもそれはその人の課題。
あなたがご丁寧に受け取る必要はありません。


という先日ちらっと耳にした話、
それをこちらでシェアしてみました。

なにかお役に立てたら幸いです。

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