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2021.07.20潜在意識

人間関係でトラブルの元となりやすいのは

目次

人間関係悪化の原因となるものは?


日本潜在意識コミュニケーション育成協会の森口です。


人間現関係におけるトラブルの元となるのは、

・お相手と「私」の求めるものが合わないこと、

・互いの主張の折り合いがつかないなどといった、

こだわり・嗜好・信念のズレは、
もちろんなんでしょうけれど、

どちら言えばそれよりも、

とらえ方に端を発すことが多い、
そう言われているのをあなたはご存知でしょうか。

悪者になりたい人などいない


自分の中に芽生えた「感情」。

例えば喜怒哀楽、
感情にはそういったものがあるんですが、

もし仮にあなたがその「喜怒哀楽」に、
正誤善悪というものを設けているとするならば、

自分が正であり善とした感情が芽生えた際には、
とくに問題はないんでしょうけれど、

自分が誤であり悪とした感情が芽生えた際には、
認めたくはないかもしれません。

それを認めてしまうと自動的に、

自分は誤りでかつ、悪だと決めつけられてしまいますから。

いい人でいたいという欲求


自分の中にそんなもの(誤・悪)があるとは、
認めがたい、許しがたいこともあって、

・スルーしてみて見ぬふりをするか、

・捻じ曲げるか(浮かんだ感情をちがうものに置き換える)、

・そんな感情を抱かせた相手に責任転嫁するか、

何かしらの手を打たなければならなくなります。

なにかしら手を打たないと、

自分の中によろしくないものが「ある」と、
認めなくてはならない、

受け入れなくてはならなくなりますから困るのでしょう。

けっこうよくあることとしては、

自分の中にある「いいひと」につながるような、
そんな部分ならまだ認めることができても、

「いい人ではない」「美しくはない」
「正しくはない」につながるようなこと、

それは全力で敬遠する嫌悪する。

人間的などろっとした部分を自分の中にみつけたら、
慌てふためいて言い訳をするなんてことは、

実はけっこうよくあること。

みんなやはり嫌なんでしょう。

口ではいくら自己否定をしようとも、
どれだけ自己卑下を繰り返そうとも、

人はどこかでやっはり自分がかわいいですから。

その証拠に、

自分が自分のことを否定する、
みずから自虐する分にはまだよくとも、

他人に馬鹿にされる、否定されるのは、
腹もたつしイラつきもするでしょう。

お前になんか言われたくない!とね。

認めたくないからこそ起こる責任転嫁


でもそれはとても自然な感情で、
いい人や悪い人といった評価には直結しません。

どの人もできるならば、
かわいい自分が「悪者」だなんて認めたくはない。

自分が無力な存在であるなんてとんでもない。

特別な存在でいたい、
求められる羨望の対象となりたい。

となればもうやることはひとつです。

こころの新陳代謝として、
いろんな感情が浮かぶ、ただそれだけのことなのに、

わざわざその感情に、
良い悪いの判断基準をつけてしまったがために、

自分の中に芽生えたよろしくないとする感情を、
無きものとするべく捻じ曲げて表現する、

言葉にして発信してしまうんです。

たとえば、
○○が悪い、○○のせいでといった表現でしょうか。

そうするとどうなるか。

その口にした言葉はあたり前ですが、

他人も聞いてますけど、
同時に自分自身も聞いてますからね。

私たちは自分の「言葉」によりどんどん暗示にかかってしまい、

その言葉を聞いた他者は当然、
その人の「意見」としてそのままうけとめます。

そうか、悪いのは○○なんだと。
目の前のこの人ではなく○○が悪者なんだと。

今お伝えしていることは、

意識して意図してやっているというよりも、
もはや無意識・無自覚にやっていること。

困ったことに、
当の本人はまったく気づいてはいないのです。

否定すればするほど悪化する人間関係


自分の中にある「よろしくない」と位置付けた感情、

例えば嫉妬としましょう。

それが仮にあなたのなかにあるとするなら、
嫉妬する自分は卑しく恥ずべき者ということになってしまうので、

嫉妬している自分を嫌悪し、
すぐさま打ち消しにかかります。

妬んではいない、嫉妬なんてとんでもない。

むしろ応援している、すごいと思うといった、
そんな表現をとりいれながら。

もちろんその言葉は自分自身も聞いてますから、

私は人の成功やがんばりを認めてあげられる、
おおらか、かつできた人間と、そういった認識になりがちです。

いわゆる「過信」の状態になるんでしょう。

でもそこにあるのは、
他者をうらやむ羨望、または嫉妬という感情ですからね。

口にしているものとはまったく逆の、
別の感情が自分の中にある状態になってしまいます。

すると表現(思考)と感情が一致しないので、
微妙な「ズレ」が生じてきてしまうのです。

そしてこの「ズレ」が最終的に、
人間関係悪化の原因となってしまうのです。

不都合な事実を排除すると


こういったズレを生じさせる言動を、
日常の中で何度も繰り返していけば、

当然いつのころからか、
もやもやが収まらなくなってきます。

頭と心がどんどん乖離してしまうからでしょう。

するとそのもやもやが、
ひじょーに不快になってきます。

でもそれはあなたが自分でつくりあげた「葛藤」であり、

自分ならではの判断基準に基づいて、
感情を良い悪いに「ふりわけたこと」が原因。

自分の身をまもるために、
いい人でいるためにとった行動が大元となるんです。

でもそんなことは自分にとって不都合なので認めたくない。

さらには私は嫉妬なんてしていない!と、
みずから口にした自分のその言葉で暗示にかかってますから、

到底そんな事実は認められないのでしょう。

どんどん歪む現実のとらえ方

私たちは心のバランスをとるため、身を守るために、

その嫉妬の対象となる人を悪者に仕立て上げたり、

周りの人を自分の同調者とするべく、
あることないこと吹き込んで自分の味方を作っていきます。

そうして事実をうやむやにすることで、
すり替えていくんでしょう。

もちろん全員が全員そうするかと言えば、
そうでない人もいますけれど。

でもじつはけっこう多くある、
トラブルの原因だとは思います。

女性、男性、どちらの場合においても。

そう考えるとあなたはいかがでしょう。

感情に優劣や違いを設け、
みずからを誤った認識へと導いてはいないでしょうか?

まとめ

人間関係のトラブルの元となるのは、
互いの意思の疎通の行き違いというよりかは、

自分の持つ価値基準や、

自分ならではの正誤善悪のおしつけによって、
周りを振り回すことだってあるというのがわかります。

となると、

誰かの責任を追及ばかりしていてもしょうがない。

それよりもまず目を向けるべきは、

自分の心のクセであり、
自分が設けた価値基準や判断基準。

そこに目を向けない限りは、

自分の中によからぬ(と思いこんでいる)感情が芽生えるたびに、
周りを巻き込んでやらかしてしまいますから。

大変なのはもちろんのこと、

気づかぬ限りは毎度、
同じパターンをまた繰り返してしまいます。

本人は無意識だけに気がつかなくとも、
周囲の人たちは客観的に見る分先に歪みに気づきやすい。

そうして毎度繰り返されるそのパターンを見ていれば、

不本意ながらも、
あなたがトラブルメーカーだという認識を、

知らぬ間に周囲の人に植えつけかねない。

でも本人は気づかない。
もはや誰も言ってはくれない。

言われたとしても即効拒否する、切り捨てる。

そうなればもう誰も、
なにも言ってはくれなくなります。

そうするうちに、
気づけばなぜか1人ぼっちになっていた。

これが一番怖いパターンです。

人はなによりもまず、
孤独を恐れ回避したいと願っていますから。

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