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2021.07.13潜在意識

不安になるよりあえて不安に「なってやる」

目次

不安になる材料があふれている現在


日本潜在意識コミュニケーション育成協会の森口です。

今やもうなにを見ても、

どこへ行っても、
どんなことをしていても、

不安になろうと思えば、
誰でも即不安になることができるくらい、

いろんな情報がそこかしこにあふれています。

きっと今どんな屈強で、
メンタルが鬼強い人であったとしても、

瞬時に不安になるのが可能なくらい、

人のなかにある恐れや怯えをくすぐるような、
そんな社会情勢になっているんだと思うんです。

人が本能的に恐れるもの


人が本能的に恐れる不安になるのは、
「孤独」「疎外感」だと言われています。

それにもうひとつあえて付け加えるとするならば、

比べる・誰かと比較する、

そうすると人は瞬時に不安という感情を抱きやすい、
そうとも言われています。

と考えると、
今のこの時代、

人は不安と隣り合わせということがよくわかります。

これだけSNSが発展して、
ほとんどの人がスマホを手にしてますからね、

自覚あるなし関係なく、

私たちはいま知らぬ間に、
恐れや不安をくすぐられてしまい、

心が常に「緊張」状態にあるんです。

神経がピンと張った状態ですね。

恐れ不安が常となれば人はそれ自体気づけない


心が緊張状態にあるなんて言われても、
あまりよくわからないと思うんですが、

たとえば、

プレゼン時に手が震えて とか、
声がうわずってというようなそんな状態であれば、

まだわかりやすいので、
自覚することもできるんでしょうけれど、

急な変化ではなく徐々に、
少しづつ心が敏感になっているような状態であれば、

心臓がどきどきしておさまらないとか、
お腹がなぜだか痛くなってくるとか、

夜よく寝れない、眠りが浅い、

なにかそんな体の「症状」となってはじめて、

自分はいま「いつもとは違う」状態なのかもと、
ようやく自覚するに至るかもしれません。

キュッと筋肉が縮こまることで、
身を固くして構えている緊張状態の時って、

呼吸浅く神経を張り詰めて、

なにか自分の身を脅かす、
そんなものがやってこないか否かを、

神経研ぎ澄ましさぐるといった非日常の状態なんですが、

それが常であたりまえになってくると、
それこそが日常になり、慢性化していくので、

私たちはなかなか自分では気づけなくなるんでしょう。

だからこそそんな時に、
緊張をほぐしましょうなんて言われても、

はい、そうですか とは、
なかなかいかないんですよね。

そもそも自分がいま、
緊張状態にあると気づいていない。

自分が神経をピンっと張って構えているなんて、
知らないかもしれませんよね。

体に何らかの症状となってあらわれていたならまだしも、

なんにもない状態であればなおさら、
まさか自分がいま「緊張状態」にあるなんてね。

共有という人間ならではの不安解消法


ちょっと違う視点から言うならば、

人はどこかで、
「不安に浸りたい」そんな部分もあるんです。

そうすることで、
人と人はつながる、

それを私たちはなんとなくでも知ってますから。

たとえば、
幼い頃こんなことありませんでしたか?

予防注射の時ほど、

いつもとは違う状況の時ほど、

普段なら話さない知らない人とでも、
なぜだかいつも以上に気軽に話せたという経験が。

そういう過去の経験からも、
私たちは知ってるんです、

不安というものが人と人とをつなげるということを。

なのでね、

誰かが不安になっている場面に遭遇したら、

不安払しょく、不安解消だけを、
必死に模索する必要なんてなく、

そうだよねー不安だよねーと、
そう一緒に不安を「共有する」それだけでも、

不思議と不安感が薄れるなんてことも、
人間にはあるんです。

おもしろいですよね。
共感による不安解消。

これは感情を持つ人間ならではの方法なのかもしれません。

不安になるのは人間である証


どの人もみんななんらかのきっかけにより、
瞬時に不安を拡大していくくらい、

なにかしら「火種」ともなる恐れや怯えは持っています、

ですから、

あなたがもっとも反応しやすい、
興味のある内容で誰かと「比較する」と、

当然のことながら「不安」という感情が大きくなります。

何が言いたいかというと、
不安になるのは当たり前だということですね。

不安を感じている自分はダメだとか弱いとか、

人間ができてないからというそんな考え方とは、
本来つながらない、

イコールではないということです。

不安を抱くのは人間であればあたりまえ。

そして、

あえて不安に浸りたい、そんな時も人にはある。

ということからしても、

不安にフォーカスするよりも、
じゃあどうすれば私は安心を感じるんだろう?、

そう視点を切り替えることで、
気分はどんどん上がっていくと、

そういうことかもしれません。

不安=自己否定でなくてもいい


不安になるのが当たり前。
それが人間、それが自然な反応。

私は不安になんてならないって言ってる人は、
ただ単に自分の状態に気づいていないか、

強がっているか、
そんな自分を認めたくないだけ。

なのでそんな風に言ってる人と自分とを比べて、
へこむ必要なんてないんです。

どちらかと言えば、

そんな他者の発言と自分を並べて比較して、
もんもんもやもやするよりも、

あーそっか、

私いま○○さんと自分を勝手に比べて、
「自動的に」不安になってるんだと、

自分自身の状態に気づいてあげて、

まぁそりゃ不安になるわよねと、
不安になることを許してあげる。

そのうえで、

不安に浸りたいなら、
不安をそのまま噛みしめたらいいし、

不安から解き放たれたいなら、

あなたにとっての安心要素を、
みつけてきたらいいだけのこと。

否定も卑下もそんなのはいらないんです。

不安になる=自己卑下ではないですから。

不安=探求心・好奇心であってもいい


なにがあなたにとって、
不安を薄めるための安心要素となるのかは、

人によって全然違いますからね。
それは自分でみつける、知っておく必要があります。

たとえば、

知らない、わからないことが怖い、
わからないから不安になる、

そういう方って多いと思うんですけど、

まずなにがわからないのか、
なにを知りたいのか、

なにを知れば自分は安心するのか、
それを理解しておく必要があります。

そこにフォーカスして、
なんだろうか?と探していく。

そうしている間はおそらく、
不安って薄れているはずなんです。

それは、

不安にフォーカスしてるんじゃなく、
「探求」そこに意識が向いてますから。

なんだろう?という不安解消のための行動が、
そのプロセスの中で「好奇心」へと結びついたら、

それがもっとも喜ばしい、
不安の「活用」方法となるんですけど、

たとえそうはならなくとも、

まずはその「不安になる」こと自体を、

悪とする、弱虫と位置付ける、
よろしくないことだと決定づける、

それをまず払しょくすること、

それだけでも心って少し楽になるものなんです。

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