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2021.07.07潜在意識

罪悪感の有効利用

目次

罪悪感を抱くのは進化した脳を持つ人間ならでは


日本潜在意識コミュニケーション育成協会の森口です。

人間の心理っておもしろいもので、

人が働いてるだろう時間、
活動しているだろう時間に、

「何もしない」「だらだらする」という、
非生産的な時間の過ごし方をすると、

うしろめたいという罪悪感を抱きがちなんですが、

一方では、

いけないことをしている自分に、
ちょっとわくわくするという背徳感、

すこし複雑な喜びまで抱くことができるんです。

うしろめたさと喜びという、
真逆の思想を同時に持つことができる私たち人間の脳。

高度に進化した脳を持つ人間の心の動きって、
とても興味深いものでもあるんです。

みずから選んで感じる「想い」


たとえば動物たちがなにか、

自分たちのとる行動に対して、
人間のように罪悪感や背徳感を抱いているかと言えば、

微妙ですよね。

「私今いけないことをしている…」なんて感じながら、
捕食したりはしないでしょうし、

カモシカもスリルを求めて、
崖を登っているわけじゃないでしょうから。

そう考えると、

自分のとる行動によって、
時には喜びを感じ、

時には自分を責めブルーになる私たち「人間」って、

ある程度は自分で、
「抱きたい感情」を選んでいるのかもしれません。

どうとらえるかで抱く感情は違う


かつては私も、

1人だけゆっくり家で休むなんて、
なんか後ろめたい…とばかりに、

むだに動きまくっては、
そこになにかと「理由」をつけて、

その理由によってようやく休めるという、
おかしな「許可」制度を採用してましたけど、

もういまやその、
理由づくりや条件付けがめんどくさくて(´-ω-`)

休みたかったら休むという、

シンプルイズベスト、
私の意思尊重制度を採用しています( ̄▽ ̄)

罪悪感を抱くのはあなたが孤独ではない証


罪悪感や背徳感って、

自分じゃない誰かが「自分の心の中」にいて、
初めて成り立つものではないかと私は思うんです。

というのは、

罪悪感を抱くときはおおよその場合、

誰かを思い浮かべたり、
誰かのことをイメージしてるでしょうから。

たとえばその「誰か」とは、 

働いているお父さんとかだんなさんとか、

自分よりも頑張っているだろう知り合いとか、

我慢しつつも何かをしている人達とか かな。

その人たちを思い浮かべ、
自分とその人達を「比べる」からこそ、

いけないことをしているような感覚や、
うしろめたさを感じるんでしょう。

そうなると考えようによっては、

そうして思い浮かべられる存在が、
あなたには「いる」ってことですからね。

それはそれで幸せなことだなと思うんです。

誰ともつながりのない状態の中では、

誰かを思い浮かべることもできなければ、
比べることさえできませんから。

誰ともつながりのない状態の中で抱く感情は、

罪悪感というよりもまずは、
孤独感、疎外感の方でしょうからね。

それはそれで、
罪悪感よりもかなり心に負担をかけます。

だから何かというと、

罪悪感を抱く、抱けるってある意味、
幸せな環境にいるという証とも考えられるかもしれません。

罪悪感は伝染していく


心を占める罪悪感や背徳感を薄めるために、

「休む」ことを自分から取り上げて、
がんばることで自分にしてもいいよと許しを与える。

または、

懸命に何かに打ち込むことで、
ようやく安心を得ているところもあります。

しかしながら、

今度はあなたのその姿でもって、
誰かに罪悪感を植え付けてしまうんだから、

これまた人間って不思議ですよね。

罪悪感を抱かないように、
背徳感に押しつぶされないように、

必死で何かに打ち込むその姿って、
熱中や夢中とはまた微妙に違うもの。

そして困ったことに、

その姿は巡り巡って、
だれかの「罪悪感の元」にもなってしまうんです。

罪悪感はトラブルの元になりやすい


ちょっとイメージしてみてください。

あなたの家族や知り合い、職場の人が、

不自然なほどに、
いつもがんばっているとしたらどうでしょう?

がんばるねーすごいねーとかっていうレベルを越えて、

「がんばる」がいきすぎてもう、
痛々しい感じだったり、

「がんばる」がいきすぎてもう、
スタンドプレーにもちかい状態になってくると、

人間の心には徐々に、
不思議な感情が芽生えてくるんです。

それは、

あなたが変にがんばるから、
私たちが休もうにも休めないじゃない!という、

「がんばり」を称えるどころか、

がんばるあなた正直ウザい みたいな、

なにかそんな感情ですよね。

なんでもそうなんですが、

たとえ良いものであったとしても、
いきすぎたらもうそれはくどくてウザい。

休むための許可、自分を許すための理由を得たくて、
がんばっているだけというその人の「事情」は、

他の人にしてみたら関係のないことですから。

周りにしてみたら、

私が休もうにも休めない理由を作るうざいやつ、

みたいな。

不本意なこと、
不思議な構図になりかねないんです。

がんばっているその人は、
そのつもりがあるかどうかは別にしても、

がんばるのレベルを過剰に上げられると、

周りの人もそこを目指さなくちゃいけなくなるし、

がんばっているにもかかわらず、

比較されると、
自分ががんばっていない状態、

余力ありだともとられかねないから、

ほんと正直はた迷惑です みたいな、

そんなことも実際にはあるんです。

まとめ


以上の事からまとめると、

罪悪感を抱く、背徳感を抱くというのは、
あなたが今とてもありがたい環境にいるという、

その証だということ、

それがまずひとつ。

そして、

休むための理由づくり、

罪悪感を薄れさせるために、
「がんばる」を日頃採用しがちな人は、

麻痺して限度がわからなくなると、

他者にとってはただの、
「ウザい人」になりかねないよと。

なんでもそうだけど、

バランスを保っているときはいいけれども、
アンバランスが際立ってくると、

そこには誰かしら、
巻き添えを食う人が出てきますからね。

バランス感覚ってやはり大事なんでしょうね。

でも間違っちゃいけないのは、
罪悪感は悪者なのではなく、

過剰にあれば、
幸せを阻害しますよってだけですからね。

罪悪感があるからこそ、

互いを思いやれるという、
利点もじつはありますから。

何ごともバランス、

どんなものでもうまく使えば、
快適さにつながっていくんでしょうね。

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