ブログblog

2021.07.02潜在意識

人間関係のおっくうさを家庭で補おうとすると…?

目次

人と関わることで生じるもの


日本潜在意識コミュニケーション育成協会の森口です。

自分は人からどう見られているか、
それが過剰に気になって、

人と関わることが怖い、
人間関係に苦手意識を抱いてしまう。

それならばいっその事、

人づきあいを減らしてしまえばいい、
関わる人を少なくしてしまえばいい。

でも本当に、

人に関わることを減らしていけば、
人間関係に苦しむことはなくなるのでしょうか?

悩みの9割は人間関係?


人の悩みの9割は人間関係である、
かの有名な心理学者のアドラーもそういうくらい、

人間関係って、
喜びとなってくれることもあるけれど、

時に苦しみや葛藤の原因となることもあります。

人間関係がうまくいくスキルや方法なんかも、
たくさん伝えられていますけど、

いろんなタイプの人間がこの世界にはいますからね。

万人向けのパーフェクトな攻略法なんて、
あるかどうかもあやしい限り。

過去、または今現在において、

だれかしら自分の思い通りにならない、

または、

なかなか心通わすことのできないそんな存在がいるとすれば、

人間関係の難しさを痛感することにもなるでしょうし、

そこから、

人間関係、人と人との関係づくりに、
苦手意識をもつなんてことも、

けっこう多いんじゃないかと思うんです。

人間関係と先入観との相関性


カウンセリングというものをしていると、
たくさんのお悩みにふれることになるんですが、

夫婦、親子、友人、職場、近所の人、

どんな関係性であれ、
やはり人と人との間に起こった「行き違い」

勘違いやすれ違い、
欲求の強弱、不満の大小、

そこらへんが、
トラブルの原因となることが多いのかなと思うんです。

伝えたつもり、わかっているはず、
してもらってあたりまえ、そうであるべき、 

みたいなものですね。

どんな経験であれ、
嫌だなと思うことが印象強く残っている方ほど、

人間関係に苦手意識を持ちがちですし、

うれしかった、楽しかった、
そんな印象の方が強く心に残っている方ほど、

人に対してそこまで、
過剰に構えることが少ないような気もします。

ということは、

どんな印象を自分の心にとどめやすいか、
どんなことに心が反応しやすいか、

喜びなのか不安なのか、

満足なのか不満なのか、


それによっても、
人間関係に対する先入観って違ってくると思うんです。

不信感を抱いて接すると結果不信感を抱かれる


自分のなかにあるもの、
それに対して常に批判しがちな方、

たとえば、

人見知りの私はだめとか、

場になじみにくい私はダメとか、

スローペースの私はダメとか、

心配性の私はダメとか、

そんな「ダメ」をたくさん自分に与えている人ほど、

自分自身を否定的に受けとめてしまいやすい人ほど、

ダメな私は隠さなきゃいけない、
出したらきっと嫌われてしまう、

けなされてしまうと、
そう思いこんでいるので、

人と接するときに、
オープンに心開いて接するというよりかは、

ダメな私がばれないように、
かくして閉ざして接することになってしまいます。

そして常に、

大丈夫?ダメな私がばれてない?
ダメな私は漏れ出てない?と、

人の反応ばかりをみてしまう上に、

常にそこを気にしながら接するという、
なかなか大変なことをすることになるので、

心から楽しむなんてこととてもできない。

さらには、

ダメな私がばれないよう、
守りながら接するというその姿が、

相手に変な気をつかわせてしまうことにもなるので、

雰囲気がなんだか微妙になり、
その空気を感じ取ってまた不安になるから、

おもしろさなんて到底見いだせない。

結局のところ、
苦手意識だけを強くする なんてね。

そういうこともあるんです。

関わる人を減らすことで起こりうる弊害


そうするともう人間関係なんてたくさん。
友達なんてのももうおっくう。

私には家族がいればそれでいい。

そんなおもいも自然と出てくるでしょう。

たしかにお仕事などが絡まなければ、

そうして世界を狭めることで、
おっくうさを排除することも可能なんでしょうけど、

そうすれば今度は、

家庭という小さなコミュニティの中で、
夫婦、親子、友人、サポート、情報源みたいな、

たくさんの役割を少人数で回すことになりますからね、

うまくいってるときは良いんですけど、
ちょっとバランスを崩せばもう総崩れ。

共依存や制限、強制なんていう、

慣れからくる、甘えからくるトラブルが、
起こりやすくなってきます。

なので、人間関係を恐れるあまり、
社会を切り離すというのもまた、

あまり得策ではないのかなと。

自分へのダメ出しが入り口となりやすい


以上の事からまとめると、

人が自分のことをどう見ているか、

それを気にするのはなにもあなただけではなく、
どの人もそうだということがまずひとつ。

そして、

人の目を気にするのは、

人がどうのこうのというよりも、
人と一緒にいるのがしんどいとかっていうよりも、

自分に対する「ダメだし」「否定」、
それをしがちな人ほど、

隠さないととしてしまうしんどさを、
自分で創り出しているからだよというのがひとつ。

さらには、

人間関係のおっくうさを、
家族で補う、家庭で賄おうとすると、

濃密すぎるがゆえに、
トラブルにもつながりやすいということですね。

過度な期待が苦手意識に拍車をかける


そう考えると、

万人向けのスペシャルな人間関係攻略法を探るより、

自己肯定感を高めていく方が、
心地よい人間関係は手にいれやすのかもしれません。

基本的に人は、
「他人」よりも「自分」に興味があるものなので、

人のことを見ているようで、
そんなに深く見ていません。

じっと他人を見ながら、
人に映る「自分」をみてるだけですからね。

過度におそるるに足らず。

人に対する恐れを克服しようと頑張るよりも、

まずは優しそうな人、
受け入れてくれそうな人と接して「慣れ」てけばいいし、

同時に、

自分自身のダメ出しも悪くはないけど、
自分自身のがんばり「奮闘」を見るようにしてあげると、

完璧主義も緩みますからね。

過度に相手に期待もしなくなります。

期待をしすぎるからがっかりして、
苦手意識を強くするのかもしれませんしね。

私もかつては、
人が怖いしどう見られてるかが気になったけど、

いつのころからか、
嫌われるなら嫌われても仕方ないかと、

そう思えるようになったし、

嫌われることばかりに意識を向けるよりも、

それでも私のことが好きだと、
そんなあなたがいいんだと、

そう言ってくれるその喜びに目を向けようと、
そうしていくうちに、

人の目もそんなに気にならなくなったかなと。

もちろん全く気にならないなんていう、
そんな領域は鼻から目指しませんしね。

孤独を嫌うのは人間ならでは。

誰のことも気にしない、
それはそれで不自然ですから。

それよりも、

せねばとなれば「閉ざす」し「りきむ」
したいとなれば「ひらく」し「ゆるむ」。

それだけをいつも、
頭に置いてるようにしているんです。

まとめ


こだわり強く、
こうであってほしいというそのおもいが、

ときに強要や欲求につながって、

人間関係にひずみが生まれる、
その原因にもなりやすい。

そんな時ほど、そのつもりはないだけれども、

常に警戒と責め(自分も他人も)、
緊張や意味づけにより自分を縛ってしまい、

結果、完全に心も体も「閉ざして」しまいます。

となればどうしても、

入ってくるもの、たとえば、
お金もチャンスもいい情報も、

すべて跳ね飛ばして締め出してる状態なので、
現実においても変化が起こりにくくなってしまいます。

逆に、
自己肯定感が高まっていくと、

自動的に興味や好奇心で心は開きますし、

楽しむことでゆるみが生じて柔軟性が養われ、
受け入れ態勢も整ってきます。

恐れや警戒心を抱くのはいいけれど、
そこにフォーカスばかりしていると、

人間関係も世界も情報も、
どんどん狭く重く濃くなっていきます。

そうするとますます動くに動けないし、
日常に変化も起こりにくい。

恐れや警戒心をほどいてくれるのは、
好奇心と探求心。

そちらにフォーカスしてみると、

人間関係に対する先入観にも、
変化が出てくるかもしれません。

SHARE
シェアする
[addtoany]