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2020.10.15潜在意識

意地を張るそのメカニズム

「意地」という言葉を聞いてあなたはどんなイメージをもつでしょう?


私が思い浮かべる「意地」といえば、


目に涙をいっぱいためながらも、

がんとして自分の失敗や過ちを認めない、


なにかそんな子供の表情やさまを思い出すんです。


それはきっと、

幼少期私がそんな体験をしたということもあるだろうし、


私じゃなくてもだれか友人や兄弟なんかで実際に見たのかもしれませんね。


記憶の発端はどこかは別としても、

みなさん似通ったイメージをお持ちなのではないでしょうか。


意地を張るその姿は決して自然なものではなく、

なにかこう無理がある姿だなと。


よけいなエネルギーがかかった過剰な態度。

見てるとなんか不自然だよなと。


たしかに「意地をはる」わけですから、

かたくなさをかんじますよね。


…なにをそんなかたくなに、

意地を張る必要があるんだろう…


他者から見ると不思議でも、

意地を張っている当の本人は死活問題。


ひじょーに重要な問題なんです。


何がそんなに重要か?


それは自分が正しいということを認めてほしい。


自分が間違っているとは

絶対の絶対に認めたくないんでしょうね。




意地を張るって結構エネルギーを消耗します。


エネルギーを消耗するとなれば、


人は自然とその消耗したエネルギーと同当分の、

何かを得ることを求めるんですが(結果や賞賛)、


大量にエネルギーを消耗して実行する割には、


意地をはるってあまり結果オーライとはなりにくい…、


そんな印象ないでしょうか。


ということは、


意地を張るってけっこう、

捨て身というか採算が合わないというか、


なかなかバランスの悪いことかなと。


だけど意地を張る。


となれば、


意地をはるには張るだけの、

理由や背景があるんでしょうね。




ある意味捨て身ともいえるその行為でいったい何が得たいのか。


理屈で考えるとそうなんですが、


意地をはるってね、

もうそんな理屈は越えるんです(--)


簡単に言っちゃうと、


大人になった私たちの中で、

子どもの私たちが大暴れしているような感じ。


~だからそう、~なのでこう。


大人はそうして理論だてて考えて結論を出しますし、

それがまた理性的で理知的でいい大人という表現にもなります。


でも子どもはそうじゃないですよね。


○○だからこうだよ言っても

「でも私はこうなの!」とくるし、


○○なのでしたらダメだよと言っても、

「そんなの知らない!私はこう!」とくる。


お子さんがいらっしゃる方はよく耳にする言葉だろうし、

手を焼く部分でもあるかと思うんですが、


じつはこれって自己主張の学習としては、

ひじょーに健全で喜ばしい成長なんです。


これがないと「自立」ということが難しくなりますからね。


どの方もそんな幼少期を経て「大人」になっていきます。


そのプロセスの中で、

どうしたら好かれるか嫌われないかを学習して、


相手が望む自分と、

どうありたいかという本当の自分が混ざり合って、


その人なりの「大人」になっていきます。


だからみんな違いますし正解なんてものはありません。


でも先ほど挙げたように、

自己主張というものを必要な時期に学べているか否か、


そこらへんがじつは、

意地を張るというところに大きく絡んでくるんです。




適切な時期に自己主張する体験を積み重ねていると、


配分というかバランスというか、

そこら辺を体得して感覚的に理解できますから、


どこまで押していいか、

どうなったら引けばいいか、


これまた「感覚」で理解するんですけど、


その経験が薄いとその感覚が養われないので、

よく理解ができないんでしょうね。


だから出し過ぎる、引きすぎる。

ちょうどいいが難しい。


なので自分を出しましょうというというと、

ただただ「出す」、押し通す、押しつける、


そうなりがちで、


出し過ぎだからちょっと引いてみてとなると、

今度はもう一切ださないみたいな、


0か100、極端になるんでしょうね。


ということからも、ぜーんぶ含めてお伝えするなら、


意地を通すことをやりがちな人は自己主張するという経験が少なくて、


配分や割合が感覚的にも理解しずらく、

やりすぎてしまうところがあると。


そして、


適切な時期に子供らしさを体験できていなければ、


大人になってから体験することで、

全体的なバランスを保つところが人にはあるので、


よく言われるインナーチャイルド、それが関係してくるよと。


そこらへんはまた違う時に。


そしてさらにもうひとつ。


意地を張るということをしがちな人は、

なんだかんだ言いつつ相手をちゃんと見ています


この人なら大丈夫という状況や人ですよね。

無意識とはいえそこもしっかり見ています。


重ねているんでしょうね、無意識に。

保護者である親を 誰かにね。


幼い頃できなかったことを人を変えてやっていると。


なのでおおよその場合、


意地を張っているとき、

その先にいる意地を張るそのお相手、


その人は、


あなたにとって心許した人であったり、

受け入れてほしい人と願う人、


わかってほしいと思う特別な人だったりします。


なので女性の場合よくあるのは、

だんな様ですよね。


だんなさまに対して意地を張る。


ケンカになるとわかっても、

わかってても自己主張する。しすぎる。


ダーッと文句を言うだけが、

自己主張ってことじゃないんですよ。


何かをし続けることもまた意地をはることですよね。


たとえば、責め続けるとか、

文句を言い続けるとか。


相手の話の内容はどうあれ反発し続けるとかね。


無視し続ける。

わかってても目を向けないとか、


よそよそしくし続ける。


これも立派な「意地を張る」です。


自分のその態度を見て、


「私そこまでこの人のこと嫌いなのか」とか

「やっぱりこの人とは合わない」とか、


そう思いがちなんですが、


もちろんケースバイケースですが、

いやいや、そうじゃないですよと。


嫌いどころかものすごく相手を求めていて、


なにをどう言ったって、私がなにをしたって、

私を否定せず受け入れてほしい。


そんな本心があったりもするんです。

なかなか見えずらいし気づきにくいですけど。


試すんでしょうね、相手を。




意地を張った自分に気づいて、


自分の本心、本音に目を背けることなく、

講座で得た気づきを行動につなげて、


どんどん本来の自分に近づきつつある昨日の受講生さん。


最初はね、

やっぱり反発心もあったし、


なんで私が悪いのよと、

相手が悪いからでしょ!と、


いっぱいいっぱいいろんな感情があったんですが、


彼女のすごいところは、

自分がどうなりたい?と考えたときに、



このまま自分の正しさを貫いても、

自分が間違ってないと叫び続けても、


なーんにも現実は変わらないんだと、


その事実を受け入れたのと、


意地を張り続けても自分の欲しいものは得られない、

結局人じゃなくて自分なんだと、


目を背けず受け入れた。


そこが大きかったと思うんです。


このお仕事をしているとじつはよくあるんです。


心を許した、心を開いたという意味で、


クライアントさんや受講生さんが、

私に対して意地を張るということも。


森口さんは何を言っても責めないし受け入れてくれる人、

だから本心を出してもいい本音を言ってもいい。


そうして開けなかった心を開いて、

人と接することができるようになった、


すると今度は、


先ほどあげたように、

自分を出すという意味でうまく配分ができないこともあり、


私は悪くない!ということを、

ただただおっしゃる方もいるんですが、


そこも否定されることなく通り過ぎると、

徐々にその配分が感覚でつかめてくるのか、


正しさじゃないんだなと、

誰が悪いんじゃないんだなと、


結局自分がどうしたいか、どうなっていきたいか、

そこなんだなと理解してきます。


そうするとね、


意地を張るなんていう大量のエネルギー消費、

もうめんどくさくなってくるので、


だんだんやらなくなってくるんです。

そうしても何も得られないから。


得られるのは「孤独感」ですからね。

誰も私をわかってくれないという。


エネルギーを消耗して孤独感を得るなんて割りに合わない。


そうなると人は必ず前を見始めます。

そして健全なエネルギーの消費を目指すようになる。


私に対して意地を張っても、


私はその方のご主人でも保護者でもないので、

ほんとなんの意味もないんですけど、


自己主張を健全にできるようになるにはこれもまた必要なプロセス。


こちらとしては、ようやく本音が出てきたなと、

喜ばしく思うくらい。


ただいつまでもいつまでもとなると、

それは「依存」ですから。


当然そこはお伝えしますけどね。


成長過程でみんな通ってくる道。


カウンセラー相手にそうするか、

ご家庭の中で学習するか、ご夫婦でやりあうか。


職場やおつきあいの中で体験することで、

トラブルから学んでいくか。


人それぞれ「そこ」が違うだけ。


意地を張るのもいいけれど、


意地を張って得られるものは、

自分が思うのとはちょっと違うものとなるので、


不足不満となりがちだし孤独感がつきまとう。


でもそんな自分も受け入れて、

自己だけじゃなく他者にも主張ってあるんだと、


そう気づくようになれば、


意地を張る必要もなくなるし視野が広がりますからね。

狭苦しい世界からは解放されて楽にもなれます。


自己主張は大事、

その加減はもっと大事。


健全な自己主張ができるようになってくると、

他者の意見も尊重できるようになってきます。


子どもがギャーギャーうるさいと、

そう思い悩んでいるお母さん方。


その子どものうるささ、自己主張の強さ、

それはのちに必要な「自立」の芽です。


うっとおしいですけどね(--)

毎日ギャーギャー言われるとねほんと。


私もいー(>_<)!っとなるときあります、人間ですから。


でもそこでつぶしてしまったら、


その芽は大人になってから芽吹くという、

ちょっとしんどい方法をとることになってしまいます。


うまく気分転換しながら、


真正面から受け止めなきゃと頑張るのではなく、

片眼をつむるくらいでいいんじゃないかなと。


ちなみに…、


子どもに限らずなんか自己主張する人の姿がうざく感じる時は、

あなた自身も自分を「出したい」と思っているとき。


あなたの本心をみつけてあげて、

まずは責めずに「あなた」の声を聞いてあげてください。


そうすることもまた孤独を癒すことになるし、


過剰なまでに意地を張る、


そんな暴走を、

未然に防ぐ防止策になってくれると思いますよ☆



こちらのブログでは、

潜在意識について、さらに詳しくご紹介しています。

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