2020.03.16潜在意識
ゆるむことから始まる願望実現への道
おそらくおおよその方が思いつく方法は、
目標を定め必要なことを学ぶ、練習する、行動するといった、
なにかを「たして」いく方法じゃないかと思うのですが、
はたして本当にそれが、願いを叶えるための最適な方法となるのでしょうか?
目次
- ○ がむしゃらにがんばることこそ良し?
- ・達成感は「癖」になる
- ・がんばる私が好き
- ○ 違う方法が他にもあることを知る
- ・しんどさのほかにも願いを叶える方法はある
- ・どの方法を選んでもいい
- ○ まとめ
がむしゃらにがんばることこそ良し?
一生懸命練習しなさい。
できるまでやり続けなさい。
知識や技術を身につけるためには、
ただがむしゃらに繰り返し練習して自分の身にたたきこむ。
習い事やクラブ活動といったかつての経験を通して私たちは、
それこそが望みを叶えるためには最適な方法であるとどこかで信じています。
しんどくても苦しくてもただがんばる。
休みたい、遊びたい、もうやめてしまいたい、
そんな自分の「甘え」に打ち勝ってこそ望んだものは手に入る。
そう信じ込んでいればいるほど、
過酷な練習やスケジュールをみずからに課して負荷を与え、
こなすことで得る達成感こそ、
願いを叶えるためには必要なものであると考えるようになります。
となればおのずと、
がむしゃらであること、一生懸命であることにこそ価値があり、
らくをする・休む・力を抜くことは逆になまけととらえられ、
良いことではないといった認識になりがちです。
達成感は「癖」になる
自分に課題を与え負荷を課し、ハードルを飛び越え、ゴールへとたどり着く。
このとき私たちの脳のなかでは、
「ドーパミン」という快楽物質が分泌されると言われています。
しんどさを味わった上で目的を達成したとき、
欲しかったものをやっと得たときに感じるあのやったー!!という感じ。
爽快感や解放感にも似たあの感覚は、
私たちにとって「気持ちがよい」と感じやすいもので、
過酷さを経験した後にくる感覚だけに、
私たちに中ではより印象に残りやすいという特徴もあります。
気持ちよく感じるもの、
わかりやすく心地よさを感じるもの、
そういったものは達成感に限らず、
「あの感覚をもう一度!」といった欲求に結びつきやすくなります。
そう、達成感というのは、
もう一度!もっと!という癖になる気持ちよさでもあるんです。
がんばる私が好き
一生懸命頑張るその姿に人は心動かされ、
一心不乱に打ち込む姿に私たちは、あこがれにも似た感情を抱きます。
たしかに、困難に立ち向かう姿は美しく、
まっすぐ前へと進むその姿は尊く気高いもの。
あこがれを抱くその姿に少しでも近づきたい。
自分もそんなふうに思われるような人になりたい。
そんな思いが芽生えるのも自然なことかもしれません。
加えてひとには「承認欲求」という、
認められたい、ほめられたい、求められたいという欲求があるので、
欲求とあこがれが相まったとき、
一生懸命さ、一心不乱という没入感を味わいながら、
目的を達成しようとする自分自身に気持ちよさをも感じ、
人は「がんばる私」に酔いしれてしまうこともあるのです。
違う方法が他にもあることを知る
私たちの中でなにか叶えたい願いが生まれたとき、
私たちは自然と過去の記憶(データ)から、
願いをかなえるためにはどの方法をとればいいのかを検索します。
そして、やったー!と達成感を得たときのこと、
みんなにほめられたあのときのことなど、
いろんなことを呼び覚ましていきます。
ただその呼び覚ますという行為は、
自分が出した指令のもとに行われるのではなく、
自覚なく「無意識に」行われるもの。
あなたがハッと我に返るまではまず、自分で気づくことはありません。
じつはあなたは知らず知らずのうちに、
過去の経験の中から今と似たような経験を探し出し、
過去の体験をそのまま惰性で繰り返してしまっているのです。
大人になった今でも、学生時代のように過酷な負荷を自分に与え、
大人になった今でも、幼少期のように「ほめてほしい」というおもいにふりまわされる。
がむしゃらにがんばるこそ良し、
一心不乱に打ち込む姿こそ美しい。
その幻想に翻弄され、
願いを叶えるためには今以上に、
無理をしなければならないがんばらなければならないといった、
そんなハードルをまた無意識のうちに自分に与えてしまっているのです。
しんどさのほかにも願いを叶える方法はある
ゴールにたどり着いたときに得られる達成感や獲得感は、
快楽物質ドーパミンを分泌するので癖になりやすいこともあり、
気持ちよさを求めてまたその方法を、
無意識のうちに選択しやすいのですが、
ドーパミンはなにも達成感だけではなく、
好奇心がむくむく芽生えている時や楽しいことをしているときにも分泌されます。
ただ、
しんどさや試練を乗り越えた先で得た達成感や爽快感が、
印象深く心地よいものとして、
あなたの過去の体験の中にたくさん残っていればいるほど、
どうしてもその方法を無意識に選んでしまい、
その方法しかないと決めつけて思いこんでしまうのです。
どの方法を選んでもいい
負荷をかけ試練を与え乗り越えていくことで人は成長する、
がんばった分だけやった分だけ願いは必ず成就する。
その考え方はもちろん間違いでもなければ、悪者でもなく、
それはそれでひとつの方法であり尊いものでもあります。
問題は、
それしか願いをかなえる方法はないんだと思いこむこと、
その方法とは違うやり方で願いを叶えようとする人はだめだと決めつけることです。
あなたが知らなくとも、
がむしゃらではなくさらっと、
りきまずするっとでも願いを叶える方法は存在します。
途中であきらめる、目的を変える、自分のペースを守る、
その方法は決して怠惰でもなければ、弱者の証でもありません。
自分が選ぶやり方とは違う方法があるというだけのこと。
否定したり批判することに結びつけるのは、
おかしなことだとまず気づく必要があります。
まとめ
自分とは違う方法でもって願いを叶えようとする人たちを見たとき、
それは違う!それは間違いだ!と声高に叫びたくなったら、
それは気づきのタイミングです。
あなたはその方法でもって今まで頑張ってきた、
がむしゃらにがんばってきた、
そんな自分をまずは、ほめて認めてあげてください。
そして、
その苦しさでもって願いを叶えたいのか、いま一度自分に問うてみてください。
願いを叶えるためには苦しさや試練は必須、それらと引き換え。
そう信じ、それこそが我が人生というのなら、それもまたひとつの生き方ですが、
学生や幼い子供ではないのだから、
もう試練や苦しさはごめんだ、もっと楽に夢を叶えたい、
そんな思いが今あなたの中にあるのなら、
いまがちょうど今までのやり方を変えるそのタイミング。
こうせねば、ああせねば、これこそが正しい、絶対に間違いない。
そのおもいこみを緩めること、先入観を手放すこと、
それもまた願いを叶えるための方法なのです。
がむしゃらこそよし!とりきみ続けるよりも、
これもよし、あれもよし、
こうでなくちゃいけない そんなことだってない。
そんなゆるみや手放しもまた、達成感同様に気持ちよくて心地よいもの。
どんな感覚を味わいながら願いを叶えていきたいか。
大人になったあなたはいま、自由に選択することができるんですよ。
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